第4回(理論編②)【公開講座・第2回】
テーマ:社会関係資本(ソーシャルキャピタル)、アクション・リサーチ(実践的協働研究)
タイトル:幸せな地域社会をめざすアクション・リサーチの試み ~市民協働と信頼構築のカギは何か?~
講 師:草郷孝好さん(関西大学社会学部教授)
日 時:2017年6月24日(土)14:00〜16:00
場 所:とよなか男女参画推進センターすてっぷ セミナー室1
みなさんは、今どれくらい幸せですか。「国民生活選好度調査」(平成23年度)によると、6.4点となっていて女性の方が幸福度は高いです。
幸福度を左右するものとは何でしょうか。「幸福感を判断する際に、重視した事項は何ですか」という問いに対するトップ3は、多い順に「家計の状況」「健康状況」「家族関係」となっています。一方、「地域コミュニティとの関係」は10.2%と最も低くなっています。「家族関係」「友人関係」「職場の人間関係」「地域コミュニティとの関係」の4つは、「社会的関係資本」にあたります。
これらを踏まえて、私の専門分野である開発学の視点から、「幸せな人間関係をつくる意味」や「幸せな地域社会づくり」について事例を交えながら考えたいと思います。
<参考>内閣府「国民生活選好度調査」
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/senkoudo/senkoudo.html
1、経済成長モデルから社会発展モデルへ
これまで先進国の多くは、高度産業化によって経済成長を遂げるという戦略をとってきました。経済的な豊かさを享受するためには産業化が必要であり、それを支えるために科学技術の振興が求められます。
では、日本においてGDP指標に代表される経済指標で成長戦略がうまくいっているかどうかをチェックしてみましょう。確かに、これまでは有効でした。近年は横ばい傾向にありますが、1955年以降ずっと右肩あがりでGDP(所得)は増加してきました。
これによって得たものとしては、まず、高等教育が身近なものになりました。次に、医療システムが整備されて長寿国の仲間入りを果たしました。この2つの分野を育てるためには経済的基盤が必要でした。GDPが伸びることで教育や医療が整備できたのです。
政府が描いていた社会発展のシナリオは、収入を増加させることで生活を改善するというものでした。手に入れたお金を教育や健康増進に配分することができるようになり、一人ひとりの暮らしがより安定したものになります。ここで大切なのは、安定した生活が持続するということです。そうすることで、個人の生活満足度はアップするのではないかというシナリオが描かれていました。
確かに経済的には豊かになりましたが、本当により住みやすくて、活き活きと暮らせる社会になってきているのでしょうか。「国民生活白書」(平成20年)によると、「GDP」が増加しているのに反して「生活満足度」が低下していることが示されています。政府が毎年実施している「国民生活に関する世論調査」によると、「心の豊かさやゆとりある生活」と「物の豊かさ」については、すでに1980年代前半には、前者が後者を上まわっています。更なる物の豊かさよりも、心の豊かさやゆとりを求める人の方が多いことが分かります。
経済成長をしても必ずしも幸福になれる訳ではないとすれば、問題の根っこはどこにあるのでしょうか。これまでの経済成長モデルに代わる新しい社会発展モデルを構築することが求められているのです。
社会発展モデルの見直しの大きなきっかけとなったのは、公害問題が深刻な1960~70年代のこと。カーソン「沈黙の春」、メドウズ他「成長の限界」、シュマッハー「スモール・イズ・ビューティフル」などの著書が関心を集めました。
公害・気候変動などの深刻化が進む状況を受けて、1992年には「国連環境開発会議」(地球環境サミット)、2012年には「国連持続可能な開発会議」(リオ+20)などが開催され、持続可能な社会について議論されるようになりました。2015年には、持続する社会経済システムへの転換が急務であるとして、持続可能な開発目標(SDGs)が採択されています。
一方、幸せ社会をめざそうとする動きは、2004年にOECDが開始した「社会進歩指標に関するグローバルプロジェクト」がはじまりです。重要な意味をもつようになったのは、フランス政府の要請を受けて、スティングリッツ、セン、フィトウシが監修した報告書(2009年)の発表でした。2008年のリーマンショックを契機に作成されたもので、この中で幸福や持続的な社会づくりについて述べられています。日本でも、遅ればせながら、2010~2013年に、内閣府によって「幸福度に関する研究会」が開催され、幸福度指標を提案しました。
こうした流れの中で世界的に注目をあびるようになったのが、ブータンの「国民総幸福(GNH)」モデルです。このモデルの目標には「国民の幸せと質の高い生活実現」が掲げられています。そして、これを実現するために4つの柱からなる「国民総幸福(GNH)」があります。1つ目は、不公平・格差を生まない、社会的公正を保った経済成長をとげること。2つ目は、環境(生態系)を守ること。3つ目は、文化を保全する(多文化共生を実現する)こと。4つ目は、民主的な政治参加を実現することです。
2、幸せな地域社会創りとアクション・リサーチ
幸せな地域社会をつくっていくためには、より身近な地域で具体的にどのように取り組んでいくかということ、つまり「市民主体の地方自治」が必要となります。重要なのは「内発的発展」ということです。そのためには市民主導を軸に据えて、行政のあり方を考え直していく必要があります。また、生活の質(幸せ)の決め手(要素)を重視していく必要もあります。方向性としては、住民の創意工夫を促し、協働して地域発展を目ざしていくということです。ここで有効となるのが、アクション・リサーチ(実践的研究)です。
「アクション・リサーチ」とは、組織あるいはコミュニティ当事者(実践者)自身によって提起された問題を扱い、その問題に対して、研究者が当事者とともに協働で問題提起の方法を具体的に検討し、解決策を実践し、その検証をおこない、実践活動内容の修正をおこなうという一連のプロセスを継続的におこなう調査研究活動のことです。
アクション・リサーチは、住民(当事者)自治の基礎基盤を支援するものです。つまり、住民が地域のビジョンを掲げて、そのビジョンを実現していくためのアイデンティティをデザインし、主体的に実行していくこと(当事者のイニシアティブ)です。そこでは住民と行政の協働による創造活動が必要であり(共創)、活動自体の過程に目を向ける(プロセス重視)が大切になります。
特色としては、これまでは研究者が担ってきた調査研究を、地域住民が研究者と協働して行うことにあります。
3、幸せな地域社会創りの事例
(1)愚痴から自治へ~あるモノ探し<水俣の内発的地域再生のチャレンジ>
水俣市は水俣病の地として知られています。その問題は、地域社会に長期にわたって深刻な状況を生み出しました。その水俣市が、2008年に日本政府から最初に認定された6つの環境モデル都市の1つに選ばれたのですが、なぜそれが実現できたのでしょうか。その鍵を握る重要な取り組みのひとつとして「もやいなおし」があります。
水俣病は、1956年に水俣病発症が確認されて以来、原因究明の確定に12年を要しました。1959年の時点で、熊本大学医学部の調査により原因はチッソが排出した有機水銀であることを厚生省に報告していましたが、政府がそれを認めませんでした。なぜならば、チッソはプラスチックをつくる原料を国内製造しており、日本の産業化と経済成長にとって重要な役割を果たしていたからです。原因が明確でない間、水俣病の当事者は周囲からのサポートを得ることができませんでした。水俣市に住む多くの人はチッソ関連の仕事に携わっており、家族や親せきの間でも対立を生みました。水俣病の認定患者は約2,200人ですが、実際はそれ以上に存在するといわれています。
また、深刻だったのが風評被害です。水俣産というだけで、内陸部でつくった農作物などが売れなくなり、地域内でも分断されていきました。水俣病という公害問題が起こったことで、地域の中に様々な対立が生まれたのです。
1990年になって、国費を投じた13年にわたる水俣湾の浚渫作業と埋立地への汚染土壌埋設が完了しました。この時に、水俣に2つの新しい動きが生まれました。行政側(熊本県、水俣市)と市民組織「寄ろ会みなまた」のもので、それぞれにまちを変えていこうとする動きが生まれ、それらがタイアップすることで水俣再生の活動につながったのです。
1992年には、水俣市長名で「環境モデル都市」を目指す宣言が出されました。1994年に市長に就任した吉井正澄氏は、水俣病被害者に対して水俣市長として初めて公式に謝罪します。その中で水俣のめざすビジョンとして、「人間同士の心のつながりの修復」「環境との共生」「相手のことを知るための対話の尊重」を示しました。
<推薦図書>
吉井正澄『「じゃなかしゃば」 新しい水俣』藤原書店、2016年
「もやいなおし」は、公害病患者、山川・海側それぞれの住民、行政、支援者の人たちなど、水俣でバラバラに活動していた人たちが、仲たがいではなく、お互いのことを尊重しつつ、水俣再生に取り組んでいこうとするものでした。共有の財産としての水俣をどう変えていくか、しっかりとした基盤をつくろうとする取り組みだったのです。これまで対立した人同士がつながりあっていく中で、環境にやさしく住みやすいまちへの取り組みが育まれる機運が生まれはじめました。
もやいなおしの実践として重要なことは、社会的つながりを再構築したことにあります。市民参加から行政参加(市民のイニシアティブに行政が参加していく)へと転換し、水俣の将来目標を設定して環境モデル都市になろうとしました。また、水俣独自の地域再生化手法として、「地元学」を生み出し、推進しました。
「環境モデル都市」への取り組みとしては、市民によるゴミ分別(20種類)と各地区に還元するシステムの構築、ゴミ削減に取り組む女性市民グループの連携支援、エコビジネスの誘致、環境マイスター制度の設置などがあります。
<地元学についての著書>
吉本哲郎『地元学をはじめよう』岩波ジュニア新書、2008年
水俣市は環境モデル都市に選ばれるだけの努力をしてきました。それは外から押し付けられたものではありません。むしろ地元の人たちは見捨てられた、国益のために犠牲になったと思っています。所得倍増計画の提唱者となる池田勇人氏は、通産大臣のとき、水俣病の原因がチッソから排出されていることを閣議の場で認めなかった人でもあるのです。
つまり、水俣市は環境モデル都市としての目標をかかげ、それを実現するために「もやいなおし」に取り組み、その取り組みによって、地域住民の「地元」に対する自信を深め、自治の力で持続する幸福や希望のある共生社会づくりをめざす動きを進めてきたわけです。胎児性の水俣病患者さんは何年もたってから病状が出ることがあります。その意味でも共生するということが重要視されたのです。
水俣の取り組みから学ぶことは、まず経済的な豊かさだけを追い求めると、手痛い目にあうリスクが伴うということがあげられます。そして、持続的なまちづくりへの方向転換には、リーダーシップや地域発の創意工夫が力になるということを教えてくれました。具体的には、「もやいなおし」という内面社会の再構築によって、地元住民同士が信頼関係を作ってきました。また「地元学」で地域資源(環境、文化、伝承知識など)を見直し、地域発展をデザインし、地域住民の自治推進によってこれを実現する原動力となったのです。
(2)幸せのモノサシづくり<行政主導から市民協働のまち創りへの脱皮>
愛知県長久手市は、雇用確保、利便性、文化施設充実などの理由から、住みよさランキング2017(東洋経済)で全国第3位にランキングされているまちです。しかし、長久手市の吉田一平市長はこの評価方法が長久手を駄目にするといっています。快適度が高くなると面倒くさいことをしなくなる、それこそがまちを駄目にするという認識からです。
長久手市では、2050年のビジョンとして、日本一の福祉のまち=幸福度の高いまちの実現、生活の質と幸福度の高い持続的なまちを住民主導でつくっていくことを掲げています。それを実現するための「幸せのモノサシ」づくりは市民と行政の協働活動によって行われ、地方自治体行政の新しいカタチを目ざしています。住民がお客さんにならないまち、お互いに支え合うのが当たり前になるまちをつくろうというわけです。地域独自の発展のモノサシによって、市民の生活や地域社会の状況を多面的に評価し、地域や市民の暮らしの改善に継続的に取り組んでいるのです。
私はこの長久手市の「幸せのモノサシづくり」に、立ち上げから約3年半、アクション・リサーチ手法によって、協力してきました。「アクション・リサーチ」を進めるにあたって、モノサシをつくるための市民によるグループを立ちあげ、市役所職員とのチームをつくりました。
実践的研究者として、私が心がけたことは次のとおりです。
- 住民と行政の協働により、長久手市のもつ潜在的な力を引き出していくことを念頭に置く。
- 今後の長久手のまちづくりにおいて、協働を内部化し、継続していくための創造的なプロセスを重視する。
- 共創の過程を(研究者である私が)支配しない。
- 既存の考え方や偏った味方を変えるチャンスを逃がさない。
- この取り組みから学びを市町村に紹介する。
地域づくり活動の中で、住民や行政職員の頭の中で凝り固まった考えに風穴を開けることは重要です。たとえば、「研究は研究者がやるもの」という考え方に対しては、「研究は問題に向き合う当事者でやれるはず」と言ってきました。「住民は行政のセットした活動やイベントに参加すればよい」という考えに対しては、「地域活動やイベントは、住民と協働で企画、運営できる」ということを働きかけました。「政府や専門家などとの付き合いはかしこまって行うもの」という考えに対しては、「お互いにニックネームで呼びあう」ようにしました。そうすることでフラットな関係を創りだせるからです。自分の意見がいえる関係・空間をつくることが自主性を引き出していくには大切だと思っています。
市民生活と地域の状況を確認する「ながくて幸せ実感アンケート」の実施にあたっては有志の市民と若手行政職員による「ながくて幸せ実感調査隊」を立ち上げ、ワークショップ手法によって調査票を作成しました。最初は私がファシリテーションをしましたが、私が不在のときも集まりたいという希望が出てきたことから、市民と行政職員の混成チームで進めるようになっていきました。
活動内容は、まず第1段階として、長久手市民のよりよい生活に欠かせない8つの要素を確定しました。第2段階として「ながくて幸せ実感調査」というアンケート調査を行いました。第3段階として、アンケート調査の分析をチームで行いました。具体的には、1つひとつの項目について、「気づいたこと」「もっと知りたいこと」などについてポストイットを貼って意見を出していきました。
<参考>ながくて幸せ実感アンケート
https://www.city.nagakute.lg.jp/keiei/siawasenomonosashi/siawasejikkananke-to.html
アンケートで分かったことは、次のような内容でした。
- 長久手市の幸福度は高い(市:41 国:6.41)
- 長久手市民の幸福度は健康、年収、家族の存在などが大きく影響している。特に30歳代の幸福度は高く、子どもの存在が大きいと思われる。
- 地域とのつながりの意識は高くなく、困ったときの相談相手は市外に多いが、地域活動に積極的な人は幸福度が高い
- 一般単身世帯の幸福度は高い(高齢単身世帯はそれほど低くない)
- 居住年数が長いほど幸福度は高くなる
この結果から仮説として導いたのは、市民の中で地域活動にもっと関わる人が増えていけば、長久手市の住民の幸福度は高くなるかもしれないということでした。また、幸せのモノサシをつくっただけでは地域住民の意識や行動は変わっていかないという問題意識も生まれ、モノサシづくりから地元長久手に幸せを広めていこうという活動へと転換していきました。将来を待つまでもなく、すでに面白い活動をしている人やグループが市内にいるのではないか、そういう人がいれば、その活動を紹介していこう。その活動に興味をもち、参加したい人が出てくるかもしれません。そこで、取材チームが立ち上がって「幸せ実感広め隊」になりました。
<参考>幸せ実感広め隊の活動
https://www.city.nagakute.lg.jp/keiei/siawasenomonosashi/siawasenagakutebitozukann.html
長久手の取り組みから学ぶことは、 ランキングなどの現状に満足せずに、持続する幸せ社会を追求していくことに意味があるということです。長久手市は、長期的な視野で地域行政のしくみを大きく変えていくことで、住民の持つ行政依存意識を打ち破ることを目ざしています。住民が自ら動いて、住みやすい地域を創っていくしくみに変えていくこと、 地域社会に欠かせない住民の主体性を引き出すには、既存の行政文化(「市民のために仕事をしてあげる」的な意識)の変革が不可欠であることなどを教えてくれます。「行政の参加意識」と「参画意欲ある市民」の発掘や育成が必要なのです。
(3)まとめ
水俣と長久手の事例を紹介しましたが、いずれからも言えることは、とにかく“つながればよい”わけではないということです。社会的関係資本を地域資本に還元できるかどうかが問われているわけです。
水俣では、強い集落の絆がアダとなった面は否めません。水俣病かどうかの声を上げることがなかなかできませんし、ひどいいじめを受ける(集落にとってのメリットと個人のメリットの方向性が一致しない)こともありました。
長久手の場合は、全国の住みよさランキングで3位ですが、その理由として、雇用確保、利便性、文化施設充実などがあげられています。しかし、利便性という評価は、社会的関係資本の最小化を意味しているのかもしれません。
地域の人と地域外の人とのつながりによって、何かに気づく、何かを考えだす、何かを動かし始めるということが大切なのです。強い絆だけ、弱い絆だけの人がつながっていく傾向がありますが、特に強い絆と弱い絆が組み合わさることが重要です。すべての人が両方をもつことはできません。しかし、地域の中で、どちらかの絆をもっている人同士がタイアップしていくことで、強い絆と弱い絆の組み合わせができます。互いの力をどう発揮できるか。異質な人を受けいれるほど、二つの絆の力がさらに大きな力になるシナジー効果が生まれていくのです。
これからの持続する地域社会創りには、協働するアクション・デザインによる地域創造が求められています。これまでは専門家やデザイナーが中心になって地域デザインを行ってきたわけですが、これからは、アクション・リサーチ手法によって住民自身がまちのデザイナーとなり、さまざまな人を巻き込みながら協働するデザインに変えていくという発想です。そうすることで、市民の行動や意識変化を生んでいくことができるのです。
講師の草郷孝好さん(関西大学社会学部教授)
◆グループワークの実施◆
草郷さんからのレクチャーを踏まえ、4~5人でのグループワークを行いました。
テーマ「とよなかの未来創り」
- 3世代先のとよなか市民(将来世代)のために、どのようなまちを創っておくべきと思いますか?
- その実現ため、豊中に暮らす私たちにやれることがあれば、ぜひ自由な発想で、提案してください。
最後に各グループでの話し合いの内容を発表し、本講座を終了しました。
各グループの発表内容(写真をクリックすると拡大します)