2017/7/22 第6回(理論編③)【公開講座・第3回】多文化共生とは何か? ~難民・移民と共に生きるには~

第6回(理論編③)【公開講座・第3回】 
テーマ:多文化共生

タイトル:多文化共生とは何か? ~難民・移民と共に生きるには~
講 師:安藤由香里さん(大阪大学大学院国際公共政策研究科特任講師)
日 時:2017年7月22日(土)14:00〜16:00
場 所:とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ セミナー室1

 わたしは国際法、特に国際人権法、国際難民法を専門にしています。
 わたしがなぜ難民に関心をもったのか。大学を卒業して、エジプトのカイロに留学しました。その時に出会ったのが難民でした。その頃、エリトリアとエチオピアが戦争をやめて、1993年、エリトリアがエチオピアから独立しました。
 エリトリアとエチオピアが戦争をしている時でも、それぞれの国から避難してきている人びとはいっしょにカイロに住んでいた、つまり、国と国は戦っていても、避難先で個人としては対立することなく、いっしょに生活している、それがわたしとっての難民との最初の出会いでした。
 その後、カイロからチュニジアに移り、当時そこにはPLO(パレスチナ解放機構)の本部があり、わたしの周りには多くのパレスチナ人がいました。パレスチナ人は、家を、国を追われて、さまざまな地域にいます。チュニジアにPLOの本部があったことで、パレスチナのことをいろいろと学びました。
 PLOの幹部だった大家さんに「パレスチナに行きたい」と言うと、「わたしの実家に行っておいで。わたしは帰れないけど」と、その人の実家にお世話になりました。彼はイスラエルに入国できないので、自分の家に帰ることができませんでしたが、わたしは日本のパスポートで、そこに行くことができ、パレスチナ人の家庭でホームステイができました。
 日本に帰って、もっと難民についての学びを深めたい、国際法から難民の保護について学びたいと思い、大学院に入りました。
 しかし、1990年代当時の日本ではなかなか難民について学べない。それでイギリスに行きました。そこでのわたしの指導教員は、南アフリカのアパルトヘイト(黒人差別政策)に反対した人でした。彼は白人だったのですが、政府の政策に反対したことで、南アフリカにいられなくなり、イギリスに難民申請をして難民と認められ、イギリスで博士号を取得し、大学で教えている人でした。その後、日本に戻ってきました。
 その後、日本で国際人権法を勉強していましたが、当時、日本で学ぶことは難しく、フランスに行きました。なぜフランスかというと、それはフランス革命によって人権をかちとった国だからです。  
 フランスで人権、難民についてさらに学び、日本に戻ってきて、大学教員になる前に、霞が関、内閣府で、おもに国連といっしょに働いていました。その後、現在、大学教員としてさまざまなことに携わっています。
 今日は、「多文化共生とは何か」、特に「難民・移民と共に生きるには」ということをみなさんと考えていきたいと思います。

 まずはじめに、「多文化共生」とは何なのか。次に数値などから世界の難民・移民の状況、また日本における難民の状況もみていきます。それから、多文化共生についてのさまざまな取り組みの中から、すぐれているとされているカナダの多文化共生の事例をみていきます。そして日本での事例をみて、それらから、今わたしたちに何ができるのかを考えていきます。

多文化共生とは何か

 「多文化共生」と言った時、みなさんにはどんなイメージがありますか。
〔参加者から:「自国の文化とともに相手の文化の尊重」「ダイバーシティ、多様性」〕

 現在、グローバル化とよく言われていますが、その波からは、豊中にいてもどこにいても逃れることはできません。みなさんが使っているもの、食べているもの、おそらく日本だけで完結するものはありません。グローバル化によって、いろんなものが混じり合って多様化してくることも避けられません。そうすると、人の移動も起こり、必然的に同じ地域で異なる文化をもつ人と暮らすことになります。自分の文化も相手の文化も尊重する、これが多文化共生においてキーワードともいえることです。このことを頭の片隅において、今日の話を聴いてください。        

 ヨーロッパには欧州評議会というものがあります。よくEU=欧州連合と混同されますが、EUは当初、経済市場に関連しており、欧州評議会は、基本的な権利、民主主義、人権を守っていこうとつくられました。
 その欧州評議会に多文化共生に取り組む多文化共生課があります。その課長はよく日本にも来られています。欧州評議会の多文化共生の定義があり「多様な人口」。それは異なるオリジン(国籍だけでなく先祖はどこから来たのか)、異なる言語、異なる宗教・信条をもつ多様な人びとがいっしょに住んでいること、そして、多様性は「資源」であり「問題」ではない、としています。難民・移民は「めんどう」「お荷物」というイメージをもたれがちですが、実は多様性は重要な資源、財産です。多様な考えかたが交流することによってダイナミズムが形成され、活力が生まれ、新しいビジネスアイディアなどにつながっていく可能性を欧州評議会の多文化共生課は示しています。

難民と移民

 難民と移民の違いについてお話しします。欧州評議会の多文化共生課では次のように整理しています。

  • 難民:出国にあたって、教育や事業といった自国で行っていたことを置いていかなくてはならない、中断しなくてはならない状態に見舞われ、帰国の選択肢がない人びと。喪失感があり、家を失い、家族が目の前で殺され、家族が離散するといった体験によりトラウマを抱えていたり、不慣れな環境に否応なく追いやられ極度の混乱状態に置かれることが多い。食糧・医療・住居といった基本的ニーズが満たされていない。
  • 移民:出国にあたって、ある程度の準備ができるため自国で行っていたことを整理できる時間的余裕がある。難民に比べ、喪失感やトラウマは大きな問題ではない。帰国の選択肢がある。家族で移動することが多い。移動先での基本的ニーズを得るために準備したり、計画を立てたりすることができる。

→両者の共通点:家族や友人と離れて来ている。異なる文化や言語に慣れる必要がある。目標達成の希望をもつ。ことばや教育における支援が必要となる。

世界の難民・移民の状況

 多文化共生は、人の移動によって起こります。
 難民は移民の一種ですが、「強いられた移動」の要素が入ります。同じく移民の一種で強いられた移動では、国内避難民がいます。難民は自分の国を出た人ですが、国内避難民は、たとえばシリアのアレッポから首都ダマスカスに逃れたように自国内を移動した人びとをさします。
 「強いられた移動」の要因はさまざまで、例えば、内戦で人の移動がはじまります。ヨーロッパではこれまで重視されてきた「移動の自由」が、あまりに多くの人びとが難民・移民として押し寄せている現状により揺らぎ、第二次世界大戦後、尊重されてきた人道主義、国際保護に制限がかかり、「難民・移民危機」と言われています。「移動は自由」は、増大する難民・移民の多さとテロなどを防ぐために制限されています。
 次に、シリアの事例を見てみましょう。シリア人作家の石を用いた絵本を持ってきました。その内容は、平穏に暮らしていたシリア人家族が内戦で避難しなくてはならなくなる、というものです。ヨルダンに避難してきたある家族は、何も持ちだすことができなかったため、ドライバーだった父親は運転免許がなく働けず、子どもはシリアでの学歴を証明するものがなく公立校で教育を受けられず、かといって証明がなくとも学べる私学は授業料が高額なため、学校中退のまま家族を養うために働くことを余儀なくされています。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)というものがあります。これは国連が難民を保護するために設けた機関です。日本では緒方貞子さんが高等弁務官として活動されたことでその知名度が上がりました。UNHCRでは難民証明書を発行しています。多くの難民はパスポートなど身分証明を持っていませんから、自国から避難して他国に住む第三国定住を望んだ際に、UNHCRでは難民証明書を発行します。
 アレッポ出身のシリア人が、友人が撮ったという破壊された自宅の写真を、笑いながら見せてくれました。すごくつらいので笑いでもしなければやっていられない、それほど追い詰められた状況に彼らは置かれています。
 UNHCRの保護対象者は、難民、国内避難民、難民申請者、帰還民、無国籍者といった人びとです。難民と国内避難民は先ほどお話ししたように、強いられた移動をした人たちです。よくメディアで混同されてどちらも「難民」と報道されることが多いですが、難民と難民申請者では大きくちがいます。難民は保護されますが、難民申請者は申請が認められなければ、自国に送り返されるおそれがあります。無国籍者は国籍がなく自分の国の政府から保護されない人びとで、たとえば群馬県にはロヒンギャというミャンマー政府から国民と認められていない人びとが住んでいます。帰還民とは、元いた国や地域に帰った難民と国内避難民だった人びとですが、基本的ニーズを失っていることが多いので、自活できるように、はじめの生活再建を支援します。
 強いられた移動に対しては国際的保護が必要です。その保護の内容は、

  • 生活支援:住居、食糧、健康(身体的・精神的) 
  • 法的支援:難民申請、在留許可、就労許可

 1951年に国連が定めた難民条約での難民の定義では、次の5つのカテゴリーに該当し、かつ国籍国の外にいる人が難民ということになります。5つのカテゴリーとは、①人種、②宗教、③国籍、④特定の社会的集団の構成員であること、⑤政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという人、で、このカテゴリーに入らなければ難民と認められません。その判断はむずかしく、個別に対応していかなくてはなりません。
 これまで、移民については国際移住機関(IOM)、難民についてはUNHCRが担当してきましたが、近年、難民と移民を厳格に分けられない状況になり、個別の認定では追いつかなくなってきています。2016年9月、国連による難民・移民に関するニューヨーク会議が開催され、IOMを国連のシステムに組入れ、移住のグローバル・ガバナンスを強化することが宣言されました。それが難民・移民 ニューヨーク宣言で、

  • 地位に関係なく、すべての難民と移民の人権を保護する。特に女性や女児の人権を守る。
  • すべての難民・移民の子どもたちが2、3か月以内に教育を受けられるしくみをつくる。
  • 性的暴力などジェンダーに基づく暴力を国際社会で予防し、できるだけ早くなくす。
  • 難民を受け入れている国を支援する。
  • 子どもの収容をしない。
  • 難民・移民への差別(ヘイトスピーチ等)をなくす。
  • 再定住を促進する。
  • 難民・移民は受入国の経済や社会的発展に貢献している。

といったことが宣言されました。しかし、国際社会が努力しても、各国が具体的な取り組みをしなければ、成果はでません。
 では、どれほどの人が移動を強いられているのでしょうか。
 難民の出身国では、現在最も多いのはやはりシリアです。アフガニスタン、南スーダン、ソマリア、スーダン、コンゴ民主共和国、中央アフリカ、ミャンマーと続きますが、上位は中東とアフリカです。1997~2016年の難民と難民申請者、国内避難民の数値を見ますと、2011年から、特に2015、2016年が増えており、シリア難民の影響が表れています。
 次に難民の受入国です。第1位はトルコ(←シリア難民)、2位がパキスタン(←アフガニスタン難民)、そしてレバノン(←シリア難民)、イラン(←イラク難民)、ウガンダ(←南スーダン難民)、エチオピア(←エリトリア難民、ソマリア難民)、ヨルダン(←シリア難民)、ドイツ(←シリア難民)と続きますが、実は上位はヨーロッパではありません。ヨーロッパは地理的に遠く、お金もかかるので、まず隣国、周辺国に避難します。いっぽうで、危険が多くても自国に希望がもてない状況で、ヨーロッパに向かう人びともいますが、地中海で溺れて多くの人が亡くなっています。

日本での受け入れは?

 日本に難民としての保護を求めている難民申請者の数は、平成19~28(2009~2016)年の状況を見ると、どんどん増えていることがわかります。H19年は1,000人に満たなかったのに、ここ数年ずっと増え、2016年には1万人を超えました(10,901人)。1982年に難民認定手続のしくみが日本にできて以来、ここ数年、「過去最も多い」と法務省プレスリリースで伝えています。ですが、先ほどの難民条約での難民の定義における5つのカテゴリーに該当するかという審査において、日本は非常に厳格なので、難民の受入数はわずかにとどまっています。
 日本への難民申請が最も多いのは昨年がインドネシアで、一昨年まではネパールでした。次いでフィリピンで、こういった地域からの申請が近年多くなっています。後はトルコ、ベトナム、スリランカ、ミャンマー……となりますが、以前多かったミャンマーは民主化されてきているので減少しています。
 こうして見るとアジアからが多いのですが、アフリカ、中東からも少なくありません。たとえばガーナからは174名の申請がありました。裁判所に行くと、難民申請の本人尋問を傍聴できます。あるケースでは、性的少数者であることが刑法で罰せられるために逃げてきているなど、その難民申請者の出身国の状況を本人のことばで聴くことができます。

多文化共生:カナダの事例

 難民・移民の受け入れにおいて、とてもすぐれた取り組みをしているカナダの事例を見ていきましょう。
 カナダの国民の多くは、いろんな国々から来ている人びとで成り立っていて、オンタリオ州は50%以上がカナダ以外の国からの出身者です。そういったことで、カナダは難民・移民に寛容で、現在、アメリカやヨーロッパが寛容でなくなってきている中にあっても、カナダの姿勢は変わっていません。
 以前、カナダの難民受入について視察してきましたが、この写真はトロントの難民移民収容施設です。日本の法務省にあたるカナダ国境サービス庁、カナダ移民市民省の施設になります。この施設はトロント空港のすぐそばで、街中にふつうにあります。
 収容者は要請用紙で申請すれば、医療も受けられます。日本の入国管理局の収容施設は、大阪府茨木市の施設は閉鎖され、今は、東日本は茨城県牛久市、西日本は長崎県大村市にありますが、医療がなかなか受けられない課題があります。いっぽう、カナダの収容施設では医療以外にもさまざまな要望を担当官(収容施設スタッフ)に面談を申請し、伝えることができます。
 中でも画期的なのは、NGOやコミュニティの担当者が施設内に常時待機しており、申請すれば、面談・相談ができることです。これは日本の収容施設とは大きく異なります。
 ぜひ日本でもやっていければよいと思うのは、コミュニティ受入です。これは収容施設ではなく、NGOなどが一般的な住宅を借りて、その家に難民・移民の人びとが家族単位で住むという取り組みです。
 このコミュニティ受入には収容施設とくらべて次のような利点があります。

  • 費用がかからない→収容施設などと違って、食費やスタッフの人件費などが発生しない、つまり税金を使わなくてよい。
  • 街中に住むことで文化などを生活の中で自然に学べるので、孤立することなく、社会統合がされやすい。

 カナダでの難民コミュニティ受入、民間受入のしくみについて説明します。このしくみは「プライベート・スポンサーシップ(民間難民受入制度)」というもので、日本では難民受入は政府によってしかできませんが、民間受入はカナダが世界に先駆けて実施した画期的な制度で、カナダは各国にこの制度の導入を呼びかけています。
 受入の形としては

  1. 民間難民受入承認団体(カナダ政府認定のNGO)が難民受入を進めていく。
  2. 18歳以上のカナダ国籍者・永住者から5人以上から構成されたメンバーで難民を受入れる。
  3. 定住地域の学校や会社、町内会などが難民を受入れる。

といったものがあり、受入れられた難民には永住権が付与されます。
 プライベート・スポンサーシップにおける難民の家族1人あたりの予算は、カナダ政府は目安として年間1,107,000円としています。これはケース・バイ・ケースで変動があります。
 この制度によって、政府によって25,000人、民間によって23,000人の難民がカナダに受入れられています。政府だけの受入れのおよそ倍にあたる50,000人近い難民受入が、民間が動くことによって実現しています。加えて、まだはじまったばかりですが、半官半民といった形での受入もあり、313人を受入れています。この取り組みによる成果は今後大きくのびてくるでしょう。
 カナダのプライベート・スポンサーシップの特色をまとめておきます。

①政府だけで受入れるより多く難民を受入れることができる。

②民間が難民を進んで受入れているので、きめ細かな対応ができている。

③難民は民間といっしょに生活しているので、社会統合されやすい。

 もちろん、よいこともあれば問題点もあります。

  • 支援者の興味が覚めてしまうことがある。
  • 難民がカナダの他地域へ移動を望んだ場合、支援が受けられなくなる。
  • 離婚で家族が離れ離れになってしまい、家族単位での支援が受けられなくなる。

 民間受入のサポートについてもふれておきます。難民・移民の受入や社会統合を支援するサポート団体、NGOがあります。特に、難民・移民の自活をめざして、日常生活に必要な言語学習、就職支援に力を入れていて、一人ひとりにカウンセラーがついて、その人に合わせた対応を行っています。

 以上のカナダの取り組みついては、2016年12月からカナダ政府、UNHCR、大学、財団が協力して、難民・移民の民間受入の導入・採用を国際的に呼びかけています。

日本での多文化共生の取り組み

 日本における多文化共生の取り組みについてお話しします。
 ひとつは、食をとおして、というものがあります。これは大学の学食などで行われている取り組みで、“Meal for Refugee (M4R)”といって、難民の故郷の味を学食に、です。関西では、大阪大学の豊中キャンパスでも行いましたし、立命館大学の茨木キャンパス、関西学院大学などで行ってきました。難民支援協会というNPO法人が東京にあり、そこがオーストラリアの財団に出資を呼びかけ、『海を渡った故郷の味 Flavours Without Borders』という、アジア・中東・アフリカの15の国・地域から45のレシピが紹介されている本を出版しました。M4Rは、関西学院大のミャンマー難民2世の学生が働きかけて実現したもので、広がってきています。そして、NGOによる難民料理教室なども行われています。
 それから映画の上映会といった取り組みもあります。難民の出身地域の映画・映像作品を通じてお互いを知ろうというものです。大学生が企画したチャリティ支援上映会で、イオンシネマに場所提供の協力を依頼したり、「シリア難民の今」としてシリア人学生の話と上映会を併せた企画もありました。またUNHCR難民映画祭も定期的に開催されていて、大学、各国大使館、企業が協力しています。
 生きるために欠かせない食事や、映画といった身近な取り組みから、多文化共生を知ってもらう、関心をもってもらうことができます。

おわりに:難民・移民と共に生きるには

 難民・移民と共に生きるには、というお話しでおわりたいと思います。
 まず、他から学ぶ、ということ。これまでお話ししてきた、欧州評議会の多文化共生への取り組みには、難民・移民は問題ではなく、財産なのだという姿勢が表れていますし、カナダの難民・移民受入の取り組みは、政府だけではできないことを民間で実現していこうというものです。
 そういったことを、近くの人と話し合ってみてください。町内会、学校の子ども会、会社の有志……といった身近な人たちです。ビザを発行したり、在留資格を認めるのは政府ですから、やはり外国からの人びとを受入れるには政府の協力がないと動きません。そして、コミュニティ、政府、自治体、大学、国際機関、財団法人などが集まって話し合う場が必要だと思います。
 しかし、まずは、わたしたち一人ひとりの意識がたいせつです。自分に何ができるのか。大きなことではなく、できること、身近なところからやってみることです。グローバル化にともなう多様化の波からは逃れられません。人の移動は起こってしまうのですから、多文化共生にも必ず直面します。誰もが幸せになれる社会をつくっていくことが、たいせつだと思っています。

 ありがとうございました。

講師の安藤由香里さん(大阪大学大学院国際公共政策研究科特任講師)

〔質疑応答〕

Q.カナダの民間受入について。難民を受入れる5人の人びとの関係性は?また、どのような人を受入れていますか?

A.〈安藤さん〉まずどのような人を受入れているかですが、知り合いを受入れることが多いです。たとえば、現在、シリアにいるシリア人を呼び寄せはできませんが、トルコにいるシリア人は可能です。そして、カナダ政府の許可がなければ受け入れられません。5人の関係性ですが、さまざまな形があります。シリア人のバイオリニストの受入のケースでは、この人を受入れたいという人が、まず誰でもいいから受入れたいという人2人に呼びかけ、そして音楽家だからということで、音楽教室を行っている夫妻に呼びかけ、5人となりました。

Q.お聞きしたいことは2つです。
 ①なぜ日本は難民を受入れようとしないのか、安藤さんのお考えをうかがいたいです。
 ②わたしたちにできる、具合的なことを教えてほしいです。

A.〈安藤さん〉①について。ひとつにはお話ししました、国連の難民条約の5つのカテゴリーを日本政府は厳格に捉えているので、なかなか難民として認定されないということ。もうひとつは、誰が認定するかということです。日本では、難民認定にあたる立場の人びとに国際的基準が理解されておらず、そのための専門的トレーニングができていないからだと捉えています。
 ②について。たとえば、日本での多文化共生として紹介した、“Meal for Refugee (M4R)”を行っている学食に行って食べてみたり、自分たちの地域でもそのような催しをやってみる等できることはいろいろあると思います。NGOによる難民料理教室などもありますし、食をとおしての取り組みは広がりをもちやすいのではないでしょうか。
 日本の大学では、日本人学生と留学生の交流があまりありません。わたしの授業では、留学生に自分の国のことを話してもらうなどしています。食やスポーツなど、交流の機会をつくっていくことはだいじだと思います。